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ネットでくらい好きにさせろと思うが、なかなかそうもいかないみたいで草。
というかそもそも絵描き界隈で馴れ合いみたいなのが一番大嫌いではなかったか。
やっぱり一人で作るものだ、なんだこれ本当。
でも、参加したからには、私が作ったキャラを除名処分という形にはしたくないなとは思っているんだけど、絵なんか趣味なんだから、そいつばっかり書きたい訳が無い。
というかむしろ他の物を描きたい欲が強いのに、それは許されないというか、まあ気にせずに関係ないもん投稿してればいいのかもしれんが。
あー。キモイ。
どっちが正常かと言われたら相手らなんだけども。
子供か?という。私も子供っぽいけど、別の意味で子供だ。甘やかされた方の。
なんなのこいつらって感じ。まあ、絵を描く人なんか総じて子供だとは思うが。
私の場合馴れ合いやいいねよりも、ここまで割とガチの趣味なので、なんかちがうんだよな温度差。キモイ。キモイとしか言いようがねえ。
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やっぱり気を抜くとTwitterで病む。
終わってるんや。
病みたくて病んでるわけではないんだが。
原因を探ろう。
①人を信用できない
②人が嫌い
③親
⑤人との会話が苦手
この中に思い込みはないか
①の人を信用できない②人が嫌い⑤人との会話が苦手
は、感情的である。
「私は①、②、⑤ではない」、寧ろ好きだと思う事にしてみたらどうだろうか。
無理にとは言わないがw
苦手だと思うことにいいことはあるのだろうか。
人間同士の会話なんて無駄な口をたたかなければいいのだ。
適当に相槌打つ方がよっぽど健全に思える。深い会話など必要ないのだ。
そもそも人間は人間に興味がない。
それを知っておくと楽かもしれない。というかそんな事はとっくの昔から知っているのだ。
今までの基本思考は「絶望して愛せ」
期待しないけど、都合いいじゃない愛し方をしろ。
方向性としては間違えてないかもしれないけれど、相手は自分が思っているよりもはるかに私に興味がないということを理解しておく必要がある。
私自身にである。
ましてや有名人でもないし、有名人だとしてもそんなに実際興味無いよなwと、今日思ったのである。
ちょっと笑えた。
結論、人に期待せずに、愛し、相手は私にはそんなに興味がないと理解をしておく必要があるということ。まあ自分の事をそんなに話す必要はないということ。
そして、重度の障害についてはここに書くか、精神科医に伝える事。
リアルだと途端にまともぶってしまうのがダメだなあ。
何のために毎月医者に通ってるんでしょうか。
月曜日にでも行きましょう…。ね、早い方がいいよ。君。
③親、④奨学金は事実である。
③に関してはもうすっぱりあきらめるしかないようにも思える、
よくもまあこんなゴミみたいな親の元に生まれて生きてるなあと思いつつ。
親は他人なので変えようがないし、今までの通り一番期待してはいけない人物であるし、人に期待しない。そもそもこいつの場合は愛をくれなかった地点でこちらも愛す必要すらないのだ。むしろ楽なのではないか。
④は、、これもなあ、親の愛がほしくて親の言うまま医大受験した馬鹿な10代のツケである。
しかしこれは情が一切関係ない。
一番まぎれもないリアルである。
返す方法。
時給の高い仕事をする?
都会へ引っ越す????その気力と労力見合ってる?
できれば副業を始めたいなと思っている。
今住んでいるところに文句はない。
都会は人が多くて苦手だ。
でも出会いもあるかもね。
狭い世界は嫌いだから。それはもう少し考えようかな。
こう考えるとリアルの問題は実は奨学金だけだったりする。
実際精神的負担デカいけどwww
まあ、ちょこちょこ返せる環境にあればいいんじゃないかな…。すぐ返したいけど。
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夢占いは信じないが、夢の内容についての考察は割と一理あると思っている。
それが夢占いって言うのかもしれないけど。
丁度、今日、昼間気絶したときに腕を切る夢を見た。
そして切れたところからまた新しい腕がすぐに生える夢だ。
夢占いとして、腕が切れる夢というのは、力不足、環境変化、苦難。
まあ、現状いまの私に当てはまるだろう。環境変化で力不足だろうと感じている。
アタリだ。
生えるというのも別に良い意味ではないらしい。似たような力不足みたいな内容だ。
夢をメモしておくのもとてもいいかもしれないな。と思う。
口論する夢を見たりすると、きっと相手は嫌な部分の私なんだろうなと思ったり、割と使えるものだ。まあ、病む原因はこういうことの考えすぎなのだろうが、だからと言って何も考えずに過ごしたら私のようなものは、本当に終わってしまうのだ。
全身全霊をかけて考えを巡らせないと、普通の人のようには生きられない。
何たる。親の「産まなきゃよかった」の通り、私も生まれなきゃよかったなとは常に思うのだが。死ぬ権利というのは無い。残念だ。
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花。枯れた。
分かってたけど、枯れた。花は好きだ大好きだ。
だけど枯れた。
自分はスピリチュアルなものは信じないのだが、高校生時代、花が好きな人や共鳴性がある人のそばにある切り花は長持ちするものだ、だからお前のそばにある花は枯れなくなったねえ。と理系の先生に言われたものだ。
それはなんとなく感じてはいたが、信じてはいなかったけれど、いま、感じた。
私は花は好きだが、鬱になったから。そして気分が常にふさいでるから、全部一気に枯れた。極端な環境には置いていないのに枯れた。
受験期も確かそうだった、要らないのに親がそういう願掛けが好きだから変な手間のかかるような植物を机に置けと買ってくるのだ、はじめの方は枯れないが、本当にストレスがかかったときに枯れた。忙しくて面倒を見れていなくなってるだけかもしれないけど。
枯れるたびに馬鹿だから頼んでもいないのに買ってくる。2.3回は枯らした。勘弁してほしい。だったらまともな飯の一つでも作れってんだ。
ストレスを吸ってしまったのかもしれないね。私の。でも気持ちが軽くなったとも感じないんだ。枯れた植物を庭の土に埋める作業の何とも悲しいこと。
なんか、勝手なんだ本当。好きだけど、遠くから眺めてるだけで十分だし、ほしいとは思わないんだ。そして種から育てる事が好きなんだ。感覚の差。分からないだろうな。
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派遣なのに、部署移動になった。
今の部署には丸一年お世話になった。
本当にお世話になったという感じである。
前の職場はとんでもなく理不尽な女社長で、怒鳴るのは当たり前、やめるときには有給を取らせなかったことを訴えませんという契約書を書かせようとしてくるくらいだ。
まあこのざまなので、今の職場は怒鳴る人間がいない、きれいなオフィスというだけでも天国の様だった。そのうえ、全員ちゃんと大人なのである。
今まで、まともな職場で働いたことが無いので、大人がいる会社というだけでもかなりびっくりなのだが。
職歴をまとめようか。
まず、医大を中退した。全額奨学金で行ったから、18歳にして500万近く借金ボンバーを背負ったわけだ。お笑い。
中退の理由は詳しくは書かない。合わなかったんだ。
その後、ただのレジ打ち。これがひどかった、ASD、ADHD持ちの自分にとっては最高に向いてない仕事だった。レジと言っても客なんかそんなに来ない、モールのグッズショップだ。それでもひどい有様なのだから、世の中のレジ打ちの方には感謝しなくてはいけない。セルフレジなんていうのも出てきているようだが、本来時給が発生するものを客にやらせるなんてどうかしてるし、ビービーうるさいから廃止していただきたい。
その後はあまりにもレジが向いていないので、ゲームセンター勤務になった。
こっちも同様、そもそも仕事が向いていないのだ。覚える気も無ければ覚えられる脳みそもない。しかし、同僚や人間関係は圧倒的によかったように思える。年代が近いというのは大切だ。
この辺りから、大学の奨学金返済が始まる、且つ、実家暮らしをしていたが誰もまともに働かないので、家計が圧迫される、すでにフルタイムで勤務していたが、到底足りない。ほかのバイトに面接の電話を入れるが、すでにフルタイムで働いてる人間は法律上雇えないらしい。まあそりゃそうだ。
で、残ったのが夜職。キャバクラや、ガールズバー、ホステスだ。
なんだかんだ、Wワーク歴も入れると今までで一番長くやっていた仕事がこれだ。
なんとも、まあ、らしいと思う。
自分は元来、父親ができ婚、DV、離婚、自己破産をするような家庭生まれなので、男が大嫌いだし、期待していなかったから特に、びっくりすることもなかったし、酒に酔えば話なんか聞いてないで相槌だけ打ってればいいのだ。楽ではないが、これしかないと言いようがない。
その後、ホステスは続けながら派遣で短期人間ドッグ勤務。人間ってあり得ないほど臭いんだなって思った。できれば二度とやりたくないが、そんなにできない扱いされなかった仕事でもある。職場が近い且つ単調だったからかもしれない。
次がショールームスタッフだ、よくいる水回り設備とかの説明をしてくる受付だ。
特に興味があったわけではないが、なんとなく選んだ。
これもひどかった。接客がそもそも向いてないのだよ君。
で、次が、一番問題の前の会社。接客でもないのだが、とにかく社長がひどい、初めて他人に本気で殺意を覚えたのもこれだしまあおいおい語っていこう。
今日はいいことがあったのだから。そっちを書いていくことにしよう。
そんな会社は2年でやめた。
逆にそれがあるから今の所で待遇が酷くない、且つ、多少は幸せを感じるのだとは思う。鬱と不安障害、不眠になってしまったから、体調面ではかなりキツイのだけれども、それでも働き続けられたのは今の環境だったからだと思う。
感謝しかない。
やめるわけでもないのに、花やらなんやらくれてとてもうれしかった。
中身も私の体調を気遣うような物で、なんか、私の事を心配してくれる人間なんかいないと思っていたから、泣けてしまう。泣いてはいないがw。
まあ裏を返せば社会人として体調管理のできない人間というのはかなり損害があると思われるともいえるが。
とにかく、素直に今は嬉しいとしておこう。
ありがとうと言える。
次の部署は、CADを特に専門とするようだ。
忙しくなるようだが、専門性を身に着けられると思って少々多少、頑張るかなとは思っている。
仕事が進めばほしいものも買えて、絵の趣味も充実するのだから。
絵は私のすべてだ。そしてそれが私。
そう思うので、これからもそこそこに自愛しながら頑張るのです。
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ほんとう。何故か嫉妬されやすい。
私は私の中で完結していて。他人は他人。他人に何か求めたり期待したり、優しい言葉をかけてもらいたい褒められたいなぞという感情は一切ないのだが。
嫉妬というよりは、やきもちというべきか、似たようなものに思えるが。
特に、私は、他人の作品にすごければすごい。凄くないものには特に反応をしないのスタンスで生きていて、私自身が自分の作品や物に感想を求めたり、リアクションを期待したりしてそういう行いをしているわけではないのだ。
そして、そのすごいと思うものに関しても、私とは関係なしにすごい。の一言なのだ。
決して私と比べてすごい、とか、他人と比べてすごいではないのだ。
単純に、無垢な心で見たときに技術、心を動かす力、繊細力に関してすごいと言っているだけなのだ。
なのに他人の心というのはどうにも複雑らしく、私が他の人間を褒めたり、私自身が、己の目指す理想へと向かうときに、どうにも嫌な感情をぶつけてくるように思える、階層が変わってしまったのだろうか。
見える世界、見てる世界が違うように思える。
昔だったら、その他人に合わせて、同じ目線に立つ努力をしたが、私にはそれが苦手な上に、そんなことをしていたら私ではなくなってしまう気がして、無駄だと悟った。
今後そういうことが無いようにしたいのだけれども、他人と少し長くいると、いつもどうしても他人からの何とも言えない嫌な感情を感じて、疲れた気持ちになってしまう。
どうしたらいいのか、どこに逃れればいいのか、私は単純にその場の素敵を追い求めて生きているだけで、情だとか、贔屓だとかはしたいと思っていないし、されたいとも思っていない。
私という存在は無いものとして、作品そのものに目を向けて、純粋な気持ちで接してほしいわけだ。その時に作品が他人から見てよくないならよくないでいいのだ。
何ともシンドイ。理解しがたいというよりは理解できないに近いのかもしれない。
これが死ぬまで続くのか、それが成長なのか、ただ単に他人の気持ちを理解できない人間なのかはわからないが、とにかく他者交流にあまり意味を見出せないうちは、現世は向いていないと思われる。